| 人類は、どのくらい昔から甘いものを食べているのでしょう?
有史以前、いや人類に進化する以前から食べていたに違いありません。
おそらく、最も古くからある甘いものは、蜂蜜でしょう。
蜂蜜は、ご存知のように熊の大好物です。嘘だと思ったら、ディズニーランドに行って、ミニープーに
聞いてきてください。蜂蜜への情熱を熱く語ってくれることでしょう(^o^)。
動物の熊が食べるのです。万物の霊長たる人類が食べないはずがありません。
記録に残っている最古の物は、1万年前のスペインの壁画から蜂蜜と思われるものが見つかっています。
古代エジプトのお墓から、蜂蜜の壺が見つかっています。日本でも古事記に、養蜂の記録があります。
ただ、現在の蜜蜂の巣箱のスタイルは、19世紀のアメリカ人の発明です。それ以前は、蜜蜂の巣を壊して、
蜜を採集していました。蜜蜂の巣を壊すと、その巣は全滅します。このため、効率がとっても悪く、必然的に
蜂蜜はとっても貴重で高価でした。それ故、甘いものはごく限られた人しか食べられないものでした。
他にも人類は、様々な甘みを自然界からかき集めてきました。
例えば、メープルシロップです。サトウカエデの樹液を集めて、煮詰めたものです。
北米に住むネイティブ・アメリカンが、古代から伝えてきた方法です。
水飴は、発芽中の玄米の糖化酵素を利用し、澱粉を糖化し、甘くしました。
後には、より効率がいい麦芽を用いて作られるようになりました。
しかし、これらの甘味料は、ごく少量で、得るのに大変な労力を有しました。
20世紀に入り、コーンなどの澱粉から異性化糖が工業的手法によって大量生産ができるようになるまで、
最も効率よく得られる甘味料は、サトウキビから得られる砂糖でした。
サトウキビの原種は、東南亜細亜、おそらくニューギニアあたりの島に自生していたと考えられています。
それが、紀元前2千年ごろに、印度に伝わり、現在の砂糖の原型が作られるようになります。
サトウキビの汁を煮詰めれば、甘い蜜ができます。蜂にさされながら集める蜂蜜に比べれば、労力と危険は
少なくて済みます。つまり、より安価で得られることになるわけです。ただ、当初の砂糖は精製するまで
至っていなく、ペースト状でした。つまり、水飴という形です。
こうして生まれた砂糖は、印度から世界へ広まっていきます。
日本には、平安時代ごろに唐から、伝来したと考えられています。当時の砂糖は、全て輸入品でした。
中国との貿易は、我々が思っているより頻繁に行われていたようですが、それでも人力で操る船で運ばれ
てくる量は、多寡がしれています。ともあれ、輸入にたよっていたため、砂糖は大変な貴重品でした。
当初は高価な薬として、用いられていました。
文明が発達する以前は、人は簡単に死んでいました。医学以前に、栄養状態と衛生状態が、今より
はるかに悪かったからです。このため、現代人なら簡単に治る風邪や下痢で、コロコロ死んでいました。
そういう状態では、簡単に取れる栄養が絶大な効果をもたらします。しかし、病気ですと食事を取ることが
困難です。となると、少量で高カロリーな砂糖は、十分薬として通用したわけです。
現に今でもアフリカなどの難民は、栄養失調になり、簡単な下痢や風邪で亡くなっています。
そういう時には、スポーツ飲料の類が、非常に効果的です。ちなみに、スポーツ飲料は、大雑把に言うと、
砂糖水にミネラルを加え、味を調えたものです。
この貴重な砂糖の存在を表した作品が、現代に伝えられています。狂言の『附子』です。
附子というのは、トリカブトのことです。漢方では強心剤として使われます。トリカブトは非常に毒性が強く、
危険な薬です。実際、暗殺に用いられています。数年前にも、トリカブトを使った殺人事件もありました。
『附子』のあらすじは、主人が砂糖を手に入れます。
主人が用事で家を空ける際、留守を守る家人に、砂糖を食べれらないために、
『これは『附子』という猛毒だから、絶対食べるな』と言い渡します。
しかし、家来である太郎冠者と次郎冠者は、『附子』が砂糖だと気づき、二人で食べてしまいます。
それをごまかすために、主人の家宝を壊し、その責任を取るために死のうと思って『附子』を食べたの
ですが、死ねませんと主人に言い訳します。そして、主人は途方に暮れるわけです。
同様の話は、一休咄にもあります。所謂、『一休さん』の原作です。この話の設立時代は、室町時代から
江戸時代初期と考えれています。サトウキビが我が国で栽培され、砂糖が生産されるようになるのは、
江戸時代の中期に入ってからです。砂糖が当初の薬として使われていた時代から、食料、嗜好品へと
移り変わる時期です。庶民の手の届かない存在であった砂糖が、庶民にもその存在が知られた頃です。
年代としては、辻褄があうと思います。
ただ、この話と同様の話は、東亜細亜に広く伝わっています。その話のバリエーションの一つが、砂糖という
素材の普及に伴って、こういう形で定着したと考えるのが、正しいのではないでしょうか。
なお、砂糖の輸入先は、室町時代以降はポルトガルやオランダに移っていきます。正確には、ポルトガルや
オランダの植民地からの輸入です。この頃には、水飴状ではなく、黒砂糖になってきています。
砂糖がポルトガルから輸入されていた痕跡が、今でもあります。
お菓子の金平糖は、ポルトガル語のコンフェイトがなまったものと言われています。
宣教師のルイス・フロイトが織田信長に献上した記録が残っています。
余談ですが、織田信長はあまり酒は飲めず、甘党だったと伝えられています。、織田信長は新興勢力で
あるキリスト教を優遇しており、仏教などの旧体制側から非難されています。旧体制を破壊した織田信長
ですから、新興勢力としてキリスト教を優遇したのは、ある程度当然です。しかし、甘党の人間から見れば、
金平糖は贔屓するに十分な理由だったのかもしれません。
そして、江戸時代に入り、平和な時代を迎えると、様々な産業が生まれます。特に、農業生産が安定
すると、主食以外の農作物の開発が盛んになります。サトウキビは、その中でお金になる農作物の一つ
でした。日本国内でサトウキビの栽培が始まり、砂糖の生産が始まっていきます。初期には南西諸島など
一部の限られた地域でした。徳川吉宗が享保の改革で全国にサトウキビの栽培を奨励するようになり、
各地でつくられるようになりました。
この頃には、砂糖の精製技術も進化し、黒糖ではなく、白砂糖が作られるようになっていきます。有名
なのが、四国東部で作られた和三盆です。和三盆は、全国に供給され、新しい和菓子を生んでいきます。
しかし、恒常的に甘いものが庶民の口に届くようになるのは、まだまだ先の話です。
それについては、次回ふれていきたいと思います。
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