#103 炎症がないのに痛いのが虫歯

歯はとっても硬いです。人体の中で最も硬いです。
本来は、穴が開くようになっていません。
外傷で歯が欠けることがあっても、虫歯のような穴が開くことは、めったにありませんでした。

実際、虫歯は古代人の骨などからも見つかってはいますが、せいぜい数本です。
生活が困難になるくらい大量の虫歯が出来るのは、ここ数百年の話です。理由は簡単です。
虫歯の最大の原因である砂糖を豊富に食べれるようになったのは、ここ数百年の話だからです。

その本来なら穴が開かないはずの歯に穴が開くようになったので、歯医者という職種が生まれたのです。
歯は硬いので、削れません。
だから歯を削るという特殊技能を持った歯医者という存在が必要だったのです。

なお、勘違いされている方が多いのですが、虫歯というのは蝕むように歯に穴があいている状態を指します。
蝕むという単語は、押入れにしまっておいた木製の道具などが虫に食われ、穴が開くことを言います。
この現象は木製器具の多くがプラスチックに置きかわったた昨今は、身近ではなくなりました。
虫が食ったように歯に穴が開くから虫歯なのです。
痛みのあるなしは、関係ありません。
痛みが出るときは、多くの場合虫歯がかなり進行した時です。

患者さんにレントゲンを見せて、「この歯が虫歯です」と説明すると、
「痛みが無いから虫歯のはずがない」という反論をよくされます。
患者さん側から見ると【虫歯】=【歯が痛い】になるわけです。
少なくとも多くの患者さんの認識はそうなのでしょう。
医学的には【歯に穴が開いている状態】が【虫歯】なわけです。

ともあれ、虫歯の痛みで重要なのは、次の2点です。

①歯に穴は開いているが、歯髄まで届いていない。
②歯が痛いのに関わらず、歯髄に炎症が起きていない。

前章で触れたように、エナメル質と象牙質には神経がありません。
だから、そこに穴が空いても痛いはずがありません。
ところが、実際には虫歯の痛みは人体が感じる2番目に痛い痛みだと考えられています。

それでも歯髄に炎症が起きているのなら、痛いのは理屈に合います。
歯髄には神経があるからです。歯髄に炎症があれば、歯髄の神経が痛みを感じるわけです。
ところが実際は、神経がないエナメル質と象牙質に穴が開いただけなのに、痛みがあるのです。

ちなみに、歯髄に炎症が発生すると歯髄炎という病気になります。
多くの場合、虫歯が進行すると起こると考えられています。
そして、歯に穴が開いていないのに、歯がしみるといった症状がでるものが、知覚過敏です。
この辺りは、後の章で詳しく説明します。

ともあれ、虫歯が痛いという状況を髪の毛に置き換えると、虫歯の不思議が判ると思います。
髪の毛には神経がありません。だから、髪の毛を切っても痛みはありません。
ところが、髪の毛を切ると激痛が走るとどうなるでしょう。

少なくとも美容師や理容師という職業が成り立たなくなることは、間違いありません。

痛くないはずの場所が痛い。それも激痛。
この病気が普及し始めた当初は、対処方法に困りました。
その場合は、基本的に歯を抜くの一択でした。
ちなみに、その当時は麻酔はありません。想像するだけで地獄です。
もっとも、麻酔がない時代の外科手術は、すべからく拷問でした。
歯医者だけが例外だったわけではありません。

上記の2つの矛盾を説明するために、生み出された仮説があります。
導水力学説という仮説です。今から半世紀前に生まれた仮説です。
幾つかバリエーションがありますが、未だにこれを上回る仮説がでておりません。
事実上の定説扱いされております。



上に示したのが、導水力学説の概念図です。

前章で触れたように、歯はエナメル質と象牙質の2種類の硬組織と歯髄という軟組織からなっています。
そしてエナメル質と象牙質なのですが、ストローを重ねたような構造になっています。
結晶構造の真ん中に穴が開いているのです。この穴自体はミクロン単位の小さな穴です。
肉眼では確認できません。そして細管内は、液体で満たされています。

象牙質の内側、つまり歯髄は象牙質に沿って象牙芽細胞という細胞があります。
この細胞が象牙細管を通じて象牙質に栄養を供給しています。

虫歯の痛みは、この象牙細管内の水分を通じて刺激が歯髄に伝わるという考えです。
大まかに言うと、次のようになります。

①虫歯で歯に穴が開く。
②象牙質の薄くなった部位に外部から刺激が加わる。
 ⇒冷熱刺激もしくは、歯垢が産出する乳酸による刺激など。
③象牙細管内の水分を通じで、刺激が歯髄に伝わる。
④象牙芽細胞の周囲にある神経終末に刺激が伝わり、痛みを発する。

この説が仮説である理由は簡単です。実証する方法がないからです。
痛みを計測するためには、歯髄内の細胞の変化を計測しなければなりません。
ですが、歯髄の細胞の変化をリアルタイムで計測する方法がありません。

歯髄の変化を調べる方法は、歯を抜いてプラスチックで固めて切断し、顕微鏡で観測するぐらいしか方法はありません。無論、歯を抜いた時点で歯髄の細胞は壊死します。
どれほど刺激を受けた状態を忠実に計測し、記録するのは極めて困難です。
何せ観測するにの、最低で光学顕微鏡、下手をすると電子顕微鏡が必要なサイズです。
状態を調べるだけでハードルが高すぎます。

仮にそれが可能であっても、それが虫歯が痛いときの状態なのか証明できません。
何より、虫歯が出来るたびに抜歯するという行為が現実的ではありません。

このため導水力学説は、検証が不可能なので仮説の看板を下ろせません。
しかし、この導水力学説以上に虫歯の痛みを説明できる説がありません。
その結果、導水力学説がここ半世紀ほど定説扱いされているのです。

これは言い換えると、『虫歯が何故痛いのか、科学的に証明できていない』ということになります。
もう一歩進めて言うと、『歯が痛い時に歯を削るのは、科学的根拠がない』ということです。
勿論、科学的に証明できないだけで、経験的に虫歯の痛みが止められるので、治療そのものに問題はありません。
そして、問題が無い故に、誰もこのことに疑問を持たないのです。

しかし、私はこの導水力学説に関して二つほど納得がいかないことがあります。
一つは、この説だと虫歯が何時痛くなるか、説明できないのです。

成人の虫歯というのは慢性病変です。5年10年という長い時間をかけて進行します。
乳歯の虫歯に関しては、別の理論が成り立ちますが、とりあえず今回は省きます。

ともあれ、長い時間をかけて進行しているので、日々の虫歯の変化は微量に止まっています
。言い換えると、昨日の虫歯と今日の虫歯は、大きさが殆ど変わらないのです。

導水力学説に従うのなら歯髄に伝わる刺激が大きくなったら、歯がしみるといった症状が出るはずです。
しかし、歯が痛くなった日の虫歯の大きさは、歯が痛くない昨日の虫歯と大きさがほとんど変わらないのです。
虫歯の大きさがほとんど変わらない以上、歯髄に伝わる刺激も変化がないのです。
それなのに、多くの虫歯は、ある日症状が出始めるのです。

おかしくないでしょうか?

つまり、導水力学説だけだと、虫歯がいつ症状が現れるのかが、説明できないのです。

そして、もう私が感じる一つの疑問が虫歯の痛みの大きさです。

導水力学説では、虫歯の症状は、象牙細管を通じて外部の刺激が歯髄に伝わることで発生します。
象牙細管に開いている穴の大きさは、ミクロン単位です。つまりとても小さいのです。

そんな小さな穴から伝わる刺激で、あんなに歯が痛くなるのでしょうか?

導水力学説は、この二つを説明できていません。

導水力学説は、歯に開いた穴が歯髄まで到達していないのに、外部からの刺激が歯髄に伝わる状況を説明した仮説なので、私が上げた2つの問題点は、筋違いです。
ですが、上記の2点の疑問を解明しないと、『虫歯が何故痛いのか』を説明できません。
そして、現在の歯医者は、この問題を放置しています。
理由は、痛みを客観的に測る方法がないからです。
困った話です。



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