#201 痛みの大きさに差があるかもしれない。


患者さんが治療を希望したのは、小さな虫歯でした。
大臼歯の咬合面のエナメル質に出来た小さな虫歯でした。
咬合面というのは食べ物を咬むときに当たっている面のことです。
一番虫歯が出来やすいところでもあります。

前章で書いたように、エナメル質には神経組織がありません。
歯は骨ではなく皮膚の一部です。エナメル質は、髪の毛や爪の先端に相当します。
髪の毛や伸びた爪は切っても痛くありません。
だからエナメル質にできた小さな虫歯であれば、削っても痛みがでることが少ないです。

麻酔をすると痛みは止まりますが、同時に他の感覚も麻痺します。
唇や頬の動きもおかしくなることも珍しくありません。
実際、麻酔をして治療をした後、コーヒーを飲んでシャツに染みを作った患者さんが居ました。

治療時間は食事の直前でしたため、患者さんが麻酔を打たれることに難色を示し、状況から判断して、麻酔を打たずに歯を削っても耐えられると判断しました。
そこで、患者さんの了承を得て、虫歯を削ってみました。

その瞬間、患者さんが激痛で断末魔の悲鳴を上げました。

患者さんは、学生時代にラグビーの選手で、筋肉質の大男でした。
多分、小学生でも痛まないレベルの虫歯の治療だったと思います。
それなのに、断末魔の悲鳴を上げたのです。

患者さんには苦痛を与えたことをお詫びして、麻酔をしてから治療を再開したことは言うまでもありません。

治療のあと、非常におかしな点に気がついたのです。

人間に体格の差はあっても、歯の大きさにはそれほど差はありません。
そして、虫歯の大きさもそれほど差があるはずがありません。
少なくとも身長の差ほど、歯の大きさに差はありません。

だから虫歯の発する痛みは、大きい人も小さい人もそんなに差がないはずなのです。

そして、身体が大きくて筋肉質な人は、痛みに対する態勢が強いはずです。
何故なら、身体を大きくして、筋肉質にするためには、様々な苦痛を乗り越えなければいけないからです。

だから、虫歯の治療は、小さな人が苦痛に悩まされても、大きな人は痛みをこらえられるはずです。

ところが現実は、その逆の現象を目の当たりにしました。

身体が大きくて筋肉質な方が、小さな虫歯の治療で断末魔の悲鳴を上げたのです。

どんなものにも個人差というものがあります。
私が治療をした患者さんが、偶々痛みに弱い人だっただけなのかもしれません。

その時は、そう思いました。

ところがです。その後、治療の際に患者さんの症状をうかがっていると、同様の患者さんを何人も診るようになりました。身体が大きくて丈夫な人の方が、虫歯の痛みを訴えるのです。

そういう患者さんに不思議に思って痛みについて聞いてみました。
そうすると、こういう答が返ってきました。

「身体を鍛えるために色々と身体を苛めた。
 そのときの痛みには耐えられるけど、虫歯の痛みは別です。
 絶えられません」

一人だけではなく、同じような発言は何人からも頂きました。

何度も書きましたが、痛みの大きさを客観的に測る方法はありません。
何ら証拠もありません。当然、統計も取れません。
何らかの科学的根拠があるわけではありません。
だから、これは客観ではありません。私の主観です。言うならば感想です。
歯医者をやっていた患者さんを毎日診ている上での感想です。
それでも、こう考えないと辻褄が合わないのです。

個人が感じる虫歯の痛みの大きさには差がある。
そして、身体が大きくて丈夫な人ほど、虫歯の痛みは大きくなる傾向がある。

おそらく、歯医者の多くはこのことに気がついていると思います。
少なくとも、虫歯の痛みに個人差があることは、同意してくれると思います。

ですが、これは科学的ではありません。現代科学は、客観性と再現性を重視しています。
より具体的には、様々な事象を計測し、数値化することで、誰にでもその結果がわかるようにしています。
この手法は大変有効です。
現に欧州は、この手法を確立することで、他の競争相手を出し抜き、世界の覇者となりました。
そして、その確立した手法は現代に受け継がれており、我々はその恩恵に授かっております。

しかしながら、この手法には限界があります。

物差しが存在しないものは、科学の対象にならないのです。
だから、『個人が感じる虫歯の痛みの大きさには差がある』という私の主張は、ただの感想の粋をでません。
論文にして学会に発表することは不可能です。

客観化、数値化できない事象は、科学の研究対象にならないのです。

過去に私と同じ結論に達した歯医者は大勢居ると思います。
しかし、科学の対象に当てはまらないので、誰も大きな声で主張できません。
学会で発表することも、論文にすることもできません。学術的に全く価値がありません。
価値がないので。お金になりません。だから、歯医者でも気にしません。
誰もこのことを言いません。だから、誰も気づかないのです。
いや気がついても、大きな声で言えないのです。

歯医者の間で今回のケースは問題になるのは、『個人が感じる虫歯の痛みの大きさには差がある』ことではなく、私が痛くなる可能性のある虫歯を見抜けなかったことでしょう。私が若い頃だったら、先輩にこう説教をされることでしょう。

「いいか。小さな虫歯が痛くないとしても、どうして患者さんが治して欲しいっていいだすんだ。
 そもそも患者さんは痛くならない限り歯医者に来ない。
 そんな患者さんが小さな虫歯を治して欲しいと、態々やってくるんだ。
 何か問題があるに決まっているだろう。
 今痛くないというだけで、5分前で激痛だったかもしれないじゃないか。
 もう少し注意して問診をするように」

といった具合にでしょう。

学校で教わったことと、仕事の現場では差があります。
理屈に合わないが、経験則として存在する事象。
そういったものの、一つ。それ以上の意味を持たないのです。

だからこの問題は、診断や治療に際する考察事項の一つではあっても、研究対象ではないのです。
研究されるとしたら、検査の仕方や、麻酔の仕方、歯の削り方、あるいは患者さんへの説明の仕方といった、技術論にしかならないのです。

経験からこのことを知っている歯医者は、患者さんにより慎重に丁寧に治療に当たるようになるわけです。
つまり、今回のような患者さんの状態を見抜けて治療ができる歯医者は、『痛くない、いい先生』という評価を獲得することができるのです。

そして現場レベルで対処できてしまうため、この問題は公の議論の対象にならないのです。

仮に議論をしようとしても、痛みの大きさを数値化することができないので、議論が成り立たないのです。
議論をしても数値がないため、感想合戦にしかなりません。

……とっても不毛です(^^;。

ですが、『個人が感じる虫歯の痛みの大きさには差がある』という現象を無視するのはどうでしょう。
歯医者の現場ではそれが対処できています。
しかし、その現象がどのような仕組で起こっているのか理解したうえで対処できた方が、よいと思います。

そして、困ったことに、歯の痛みで私が見つけたことは、これだけではなかったのです。


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